羽咋市のコスモアイルで思ったこと。
9日に金沢から埼玉の家に戻ってきたが、その途中で羽咋市のコスモアイルに行って来た。
コスモアイルというのは、ここで私が説明するよりも、こちらのリンクに飛んで、ウェブページをご覧戴いた方が話が早いだろう。
http://www.hakui.ne.jp/ufo/
羽咋市は、UFOの目撃が多いことから、UFOの街として町おこしを行っており、このコスモアイルにも、UFO関連の展示がいくつかある。
UFO資料室もあって、その名誉室長は、あの「矢追」さんである。
UFOも興味があるが、私は、現物の方に興味がある。
展示室には、アポロ宇宙船の司令船や、着陸船、ボストークの地球帰還用カプセルなどの実物が展示されており、息が掛かるくらいの距離に近づいて、しげしげと見ることが許される。
私の目を引いたのは、アポロ宇宙船の司令船のハッチの内側の機構だった。
ハッチを閉鎖する、ロック機構はすべてロッドで連結され、連動するようになっているが、そのロッドも、連結リンクもすべて削り出しの部品で、キレイに表面仕上げされている。
こうやって、写真で見せれば、誰でも理解できる。
おそらくイラストや絵でも、この機構の複雑さと、部品レベルの仕上げの素晴らしさを伝えることができるだろう。
だが、私は作家である。この機構の複雑さと精緻さを、文章で表現しなくてはならない。
それも、簡潔に、一行か二行で。
それの能力が作家という仕事を支えているはずなのだ。
私は実物が好きで、実物を見に行って、実物に触れて、取り扱って、その感触を自分のものとして経験値に取り込むのが好きだ。
しかし、そうやって実物を見て、触れたときの感触や、私の意識の中に浮かんだ印象を、どう書けば、読者に伝わるのだろう。と考えると、いつも途方に暮れる。
拙いなりに、脳内の少ない語彙をひっくり返し、言葉を探して紡いでは「コレジャナイ」とつぶやく日々である。
難しい単語や概念を、そのまま並べれば、それで説明した気分になることができる。
しかしそれは、自己満足でしかない。
描き出すだけなら、誰にでもできる。それを伝えることが難しい。
司令船のハッチの機構で言うのなら。
「削り出し」→大量生産のプレスや鋳物ではない、手作り部品であること
「表面仕上げが為されている」→鏡面にすることによって、円滑で確実に作動し、余分な抵抗が生じない。機密性が保たれる。
こういった、言葉の奥にある意味、概念をリンクさせ、読者に「それはつまり、すごい労力と技術の結晶体のようなものである」ことが伝わるような文章を、より短い言葉で表さなければばならないわけである。
小説と言うのは、まず、読者に伝わる文章を書いて(これだけでもハードルが高い)
その文章で物語を動かし、そこにさらにドラマを加えて、読者の情動を動かさねばならないわけである。
外見を描写して、その背景にあるものとリンクさせ、それはつまりどういうことなのか。そこに読者の意識を誘導させて、読者に気づいてもらわねばならない。
作家が書いてはいけないのだ。それは最後の手段である。読者をして正解に至らしめるように書くことが、作家には求められているような気がする。
当然、そう書いても、わかってもらえないことの方が多い。
それは作家の力量不足であるのと同時に、読者とのミスマッチでもある。
「ご主人様は山猫姫」を読んだ読者の方の感想には
「余分なことを書きすぎる。ミーネとシャールのハレムだけを書いてくれればいい」
と言う人もいれば
「余分な事を書きすぎる。ミーネやシャールのことにページを割くのは無駄だ」
と言う人もいる。
晴凛が「許す」ことで、人の上に立つ。人を使う立場に立つと言う描写を。
「許すだけで人の上に立てるものか、タガが緩んで、どうしようもなくなる」
と言う人もいれば。
「許されることで、人は感謝の念を抱く。寛大さは人を使う者に最も必要な要素である」
と言う人もいる。
これはすべて、読者の経験値と価値観の違いであり、このどちらの印象も読者にとっては正しいわけである。
私がよく使うたとえ話で言うところの「コップ半分のジュース」である。
「コップに半分入ったジュース」の写真を見て
「まだ半分もある」と思うか「もう半分しかない」と思うか。
それは見た人の経験や価値観によって異なる。
同じ写真を見ても、それから引き出される印象は違い、結論も異なる。
それを、文章によって同じ方向に誘導するのが、作家の仕事なのである。
コスモアイルのアポロ司令船の話から、大きく脱線してしまったが、最後にコスモアイルのトイレの表示の写真を載せて終わりにしよう。
こういう遊び心が、今の日本には必要だと思うのだ。【笑
コスモアイルというのは、ここで私が説明するよりも、こちらのリンクに飛んで、ウェブページをご覧戴いた方が話が早いだろう。
http://www.hakui.ne.jp/ufo/
羽咋市は、UFOの目撃が多いことから、UFOの街として町おこしを行っており、このコスモアイルにも、UFO関連の展示がいくつかある。
UFO資料室もあって、その名誉室長は、あの「矢追」さんである。
UFOも興味があるが、私は、現物の方に興味がある。
展示室には、アポロ宇宙船の司令船や、着陸船、ボストークの地球帰還用カプセルなどの実物が展示されており、息が掛かるくらいの距離に近づいて、しげしげと見ることが許される。
私の目を引いたのは、アポロ宇宙船の司令船のハッチの内側の機構だった。
ハッチを閉鎖する、ロック機構はすべてロッドで連結され、連動するようになっているが、そのロッドも、連結リンクもすべて削り出しの部品で、キレイに表面仕上げされている。
こうやって、写真で見せれば、誰でも理解できる。
おそらくイラストや絵でも、この機構の複雑さと、部品レベルの仕上げの素晴らしさを伝えることができるだろう。
だが、私は作家である。この機構の複雑さと精緻さを、文章で表現しなくてはならない。
それも、簡潔に、一行か二行で。
それの能力が作家という仕事を支えているはずなのだ。
私は実物が好きで、実物を見に行って、実物に触れて、取り扱って、その感触を自分のものとして経験値に取り込むのが好きだ。
しかし、そうやって実物を見て、触れたときの感触や、私の意識の中に浮かんだ印象を、どう書けば、読者に伝わるのだろう。と考えると、いつも途方に暮れる。
拙いなりに、脳内の少ない語彙をひっくり返し、言葉を探して紡いでは「コレジャナイ」とつぶやく日々である。
難しい単語や概念を、そのまま並べれば、それで説明した気分になることができる。
しかしそれは、自己満足でしかない。
描き出すだけなら、誰にでもできる。それを伝えることが難しい。
司令船のハッチの機構で言うのなら。
「削り出し」→大量生産のプレスや鋳物ではない、手作り部品であること
「表面仕上げが為されている」→鏡面にすることによって、円滑で確実に作動し、余分な抵抗が生じない。機密性が保たれる。
こういった、言葉の奥にある意味、概念をリンクさせ、読者に「それはつまり、すごい労力と技術の結晶体のようなものである」ことが伝わるような文章を、より短い言葉で表さなければばならないわけである。
小説と言うのは、まず、読者に伝わる文章を書いて(これだけでもハードルが高い)
その文章で物語を動かし、そこにさらにドラマを加えて、読者の情動を動かさねばならないわけである。
外見を描写して、その背景にあるものとリンクさせ、それはつまりどういうことなのか。そこに読者の意識を誘導させて、読者に気づいてもらわねばならない。
作家が書いてはいけないのだ。それは最後の手段である。読者をして正解に至らしめるように書くことが、作家には求められているような気がする。
当然、そう書いても、わかってもらえないことの方が多い。
それは作家の力量不足であるのと同時に、読者とのミスマッチでもある。
「ご主人様は山猫姫」を読んだ読者の方の感想には
「余分なことを書きすぎる。ミーネとシャールのハレムだけを書いてくれればいい」
と言う人もいれば
「余分な事を書きすぎる。ミーネやシャールのことにページを割くのは無駄だ」
と言う人もいる。
晴凛が「許す」ことで、人の上に立つ。人を使う立場に立つと言う描写を。
「許すだけで人の上に立てるものか、タガが緩んで、どうしようもなくなる」
と言う人もいれば。
「許されることで、人は感謝の念を抱く。寛大さは人を使う者に最も必要な要素である」
と言う人もいる。
これはすべて、読者の経験値と価値観の違いであり、このどちらの印象も読者にとっては正しいわけである。
私がよく使うたとえ話で言うところの「コップ半分のジュース」である。
「コップに半分入ったジュース」の写真を見て
「まだ半分もある」と思うか「もう半分しかない」と思うか。
それは見た人の経験や価値観によって異なる。
同じ写真を見ても、それから引き出される印象は違い、結論も異なる。
それを、文章によって同じ方向に誘導するのが、作家の仕事なのである。
コスモアイルのアポロ司令船の話から、大きく脱線してしまったが、最後にコスモアイルのトイレの表示の写真を載せて終わりにしよう。
こういう遊び心が、今の日本には必要だと思うのだ。【笑
2012-06-10 12:26