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「大洋銃機製の火縄銃レプリカ」

 土曜日に要介護となった母のデイケアの説明のために、ケアマネージャーさんが来るので、角川の新年会の後、一時的に埼玉の自宅に戻っていたが、無事に説明を受け、書類も書いたので、その日の夕方に埼玉を立って越後湯沢に戻った。

 日本海側は大雪で、上越線が除雪作業のために運休したり、大幅に遅延している。というので、今回は新幹線で向う。

 余談であるが、JRでは除雪作業を行うときに、完全に線路を閉鎖して、すべての列車の運行を止めて、除雪を行うことが多い。

 最近は、大がかりな除雪列車を仕立てて走らせず、除雪装置をアタッチメントで取り付ける「除雪モーターカー」という車両を使うようになったからである。
 【JR北海道留萌本線で除雪中のHTR-600型624・625号モーターカー】

800px-JR_hokkaido_HTR-600_624_&_625.jpg

 鉄道の線路上を走らせる動力車を運転するには、専用の資格を必要とするが、保線工事用のモーターカーは、車両ではなく機械扱いなので、運転資格はいらない。
 その代わり、線路を完全に閉鎖して、いわゆる工事中と同じ扱いにする必要があるのだ。

 話は戻るが、越後湯沢の仕事場には、資料として使うために、様々なガラクタが転がっている。

 私のウェブページでも「主観的宝物庫」と題して、いくつかを紹介していたが、やはりHTML文書でページを作るのはめんどくさいため、ついついほったらかしになっていた。

 その点、ブログは簡単に書けるし、写真も貼りやすいので、今度からこっちで色々ガラクタを紹介してみようと思う。

 そんな「主観的宝物」(客観的にはガラクタ)の再開第一号はこれである。
「大洋銃機製の火縄銃レプリカ」

hinawa.jpg
 大きさは、それほど大きくはない、いわゆる馬上筒と呼ばれる、騎兵火縄銃(マッチロック・カービン)である。
 特筆するのは、銃身の材質が鉄製、それもかなり質の良い鋼鉄。という点である。
 
 火縄銃のレプリカは、スペインの剣や古式銃のレプリカを作っているデニックス社でも作られているが、デニックス社のものは亜鉛合金製で、意匠がどこか中国風で、火縄の受けが、龍というか鯉のぼりと言うか、妙なデザインになっており、今一つである。

 それに対し、この大洋銃機製の火縄銃は、鉄製で実にリアルに作られており、火縄を動かすからくりの松葉型の板バネなども、しっかり再現されている。

 なぜ、こんなにリアルに作られているかというと、それもそのはず、これを作った「大洋銃機」という会社は、れっきとした本物の銃器を作っていたメーカーだからである。
hinawa2.jpg
 大洋銃機は、茨城県友部町【現在の笠間市】にあった。
 戦前から戦後にかけて、空気銃を専門に作っていたメーカーであるが、1958年の銃刀法と狩猟法の改正により、空気銃所持の条件や狩猟の条件が厳しくなったことから、空気銃の売れ行きが激減し、銃器メーカーとして販路を求めたのが、こういったレプリカ銃だった。

 しかし、レプリカは、そんなに売れるものではない。十数年前に、岩手県の遠野の博物館で、この大洋銃機製の火縄銃を陳列してあったのを見たことがあるが、それ以外に見ることは無かった。
 大洋銃機が、銃の生産を止めたのがいつなのか、よくわからない。
 とにかく、私がモデルガンや無稼動実銃を集め始めた頃にはすでに、過去の歴史の中に埋もれてしまっていた。

 私がこれを見つけたのは、茨城県のドライブインである。
 模造刀や、骨董品、古民具などが並んでいる中にこれがあったとき、私は思わず「うわっ!大洋銃機の火縄銃だ!」と叫んでしまった。

 ドライブインの主人に聞くと、なんでも友部町の倉庫の片隅に転がっていたものを、見つけてきたそうだ。
 値段を聞くと、少々高かったが、ここで手に入らないともう手に入らないと思って買い求めた。
 
 こうやって買い求めたこれらのコレクションは、いわゆる「主観的宝物」である。
 私にとっては、つまり「主観的」には、かけがえのない宝物である。

 客観的に見れば「ただのガラクタ」でしかないことはわかっている。
 この品物の価値は、私が生きている間、私と共にあるのだから、別になんと言われても構わない。
 私と同じ価値観を他人に強要するつもりはない。
 だから、私に違う価値観を強要しないで欲しい。

 私が望んでいるのはそれだけである。
 
 偏屈オヤジが、ニヤニヤしながら、夜中に銃器をいじりながらウィスキーをちびちび舐めるくらいの自由は、あっても良いと思うのだ。そうは思わないか? 【笑

「ちかてつそば」は地下鉄のそば

 角川書店の新年会の二次会は午後11時頃に終わる。それから湯沢まで戻るとなるとあわただしいので、都内の東陽町近くのビジネスホテルに宿を取った。
 
 なぜ、東陽町の近くに宿をとったかというと、地下鉄東西線の東陽町の駅の前には
「ちかてつそば」という立ち食いそばの店があり、一度行ってみたいと思っていたからである。

 私が鉄道マニアであることは先日の日記でお分かりだと思うが、実を言うと、私は駅にある立ち食いそばのマニアでもある。

 高校生の頃、消え行く蒸気機関車をカメラ抱えて追いかけていたが、貧乏な高校生にとって、駅弁などと言うものは、とても高くて手が出なかった。食事と言えば安くて、暖かい駅の立ち食いそばが専門だった。
 
 座席夜行で車中泊し、朝昼晩と駅の立ち食いそばを食って、浮いたお金でトライXを買って、キャノンFTbに装てんし、写真を撮りまくっていたわけである。

 今、関東のJR駅構内にある立ち食いそばのほとんどが、JR東日本の関連会社である「日本レストランエンタプライズ」という会社が経営しているチェーン店になっており、店ごとにちょっとした違いはあるものの、ほとんどが共通の食材を使用しており、基本的に同じ味になっている。
  
 安価で食事を提供するには、安定した食材の調達が必要であり、大規模な仕入れは欠かせないわけで、この画一化は、悪いことばかりではない。

 とはいえ、駅ごとに違う業者が入っていた頃のようにその味の違いを楽しむ、という楽しみがなくなってしまったのは寂しいかぎりである。

 変わった駅の立ち食いそばが食べたければ、都心を外れて少し郊外に行くか、もしくは私鉄系列の駅そばを食べるしかない。

 小田急には「箱根そば」 西武線には「狭山そば」 東急には「しぶそば」というこれまた各鉄道会社の関連企業の立ち食い蕎麦店がある。

 そして地下鉄にも、メトロフードサービスと言う関連会社が経営している「ちかてつそば」という立ち食いそば店があるのだ。

こうやって、鉄道会社が自分のところの系列企業で、駅関係のすべてをまとめてしまう様子を見ていると、「ターター」と「オットマン」の二大財閥によってすべてを支配された「椎名誠」氏の書かれた幻想SF「アド・バード」の世界のようになっていくのではないか? みたいな妄想が浮かぶのは、きっと私だけだろう【笑

 東陽町の「ちかてつそば」は、まさに地下鉄の駅の入り口のそばにあった。
 細長い店の入り口は二つ。食券を自動販売機で購入して注文するタイプの店である。

SANY0009.jpg


 店内は狭く、カウンターが低い。最近の立ち食いそば店はカウンターが高く、どんぶりを置いて食べることができるが、この高さではそれはできない。どんぶりを手に持って食べる、という昭和っぽい食べ方をする店の作りだ。
 私が食べている間にも、客が来ては出て行く。
 
 別にグルメブログでもなんでもないので、味についてうんちくを言うつもりはない。
 派手な味でも、騒ぐような味でもない。
 高崎駅の鳥めしと同じ、立ち食いそばの王道を行く実直な味だった。

 そばを食べた後。上野に出て、特急草津3号に乗った。
 185系と呼ばれる、近距離用の特急電車である。

 私が乗ったのは、昭和56年に製造され、平成7年に内装を更新している車両だった。

SANY0016.jpg
 
 この時代の車両だな、としみじみ思ったのは、窓が開くことである。
 ユニット窓になっていて、左右のレバーを指で押し下げてロックをはずし窓を押し上げるのであるが、おそらく今の子供は、この窓の開け方を知らないだろう。
SANY0013.jpg

 完全空調になって、駅弁を窓から買い求めることもなくなって、鉄道車両の窓は開かないのが当たり前になってしまった。
 
 この185系電車がいつまで走るかわからないが、いつでも乗れると思っているとなかなか
乗る機会がなく。気がつくと廃止されている。ということがよくあるので、乗っておいて良かったと思う次第である。


 今日の本は、椎名誠 氏の書かれた幻想SF小説「アド・バード」です。
 これに続く「武装島田倉庫」や「水域」などの、異形進化を遂げた生物が跳梁跋扈する、文明のたそがれ行く世界を最初にこの世に送り出した小説です。
 その感覚は古くなるどころか、何度読み返しても新鮮です。
 
 
 
アド・バード (集英社文庫)

アド・バード (集英社文庫)

  • 作者: 椎名 誠
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 1997/03/11
  • メディア: 文庫



角川書店の新年会に顔を出してきました。

 朝起きると、昨晩降り出した雪が本降りのまま降り続いていた。
 マンションの駐車場に停まっている車はみんな、こんもりとした雪のかたまりとなり、どことなくユーモラスなシルエットを見せている。
 特にワンボックスカーは、まるまった巨大な昆虫の幼虫のようにも見える。
 樹氷のことを英語で「スノーモンスター」と呼ぶ感覚がなんとなくわかる。

 さて、そんな大雪の中を本日は角川書店の新年会に出席するために都内のホテルまで行かねばならない。
 
 別に「行かねばならない」ということはないのだが、角川書店の新年会は、ライトノベル作家だけでなく、マンガ家さんや、アニメの業界の方などが集まるため、昔から付き合いのある方にご挨拶ができる唯一の機会なのである。

 一昨年の新年会には、30年前からお世話になっている、マンガ家の「みなもと太郎」先生がお見えになっており、挨拶した私を見て、しみじみと「警察官を辞めて、すっかりこっちの業界の人間になってしまったよねえ」と言われたり。サンライズの企画室に御邪魔していた頃のプロデューサーの方とばったり出会ったり。
 そういう方々と、顔を合わせ「生存報告」をする場所でもあるため、なかなか気が抜けないパーティである。

 まあ、そこで出会った方に関しては、プライバシーもあるので、細かくは書かないが、スニーカー文庫がリニューリアルするということで、新しいフォーマットの本を見せていただいた。

 今までのスニーカー文庫と一番違うのは紙質である。
 今までの、黄色っぽい薄い紙から、どちらかというと電撃文庫に近い紙になった。

 少し厚くなり、文庫全体のボリューム感が増した。
 ページをめくるとき、持つとき、ほんの少しの違いだが、読みやすくなったような気がする。

 文庫が書店に並ぶとき「棚をどれだけ取れるか」という話がある。
 ご存知のように書店の棚の面積は限られている。その面積をどれだけ占有できるかが、レーベルの売れ行きを左右すると言われている。
 
 いかにして、この棚面積を拡大するか、というのも、営業さんの大事な仕事である。
 書店では、日々、我々の知らないところで、領地拡大の戦いが繰り広げられているのである。

 限られたスペースを有効に使う。という観点から考えれば、薄い紙を使って本を薄くすれば、同じ棚に多くの本を並べることができるということになる。
 しかし、薄い本は読者にとって、なんとなく損をしたような気分を与えることも事実である。
 
 今回のスニーカー文庫の転換はそのあたりを見切ってのことだと思う。
 
 出版社と編集さんが、新しい入れ物を用意してくれたのだから、その中に何を入れるのか、それが問われている。
 
 新シリーズは、今まで以上に気合を入れて書かねばなるまい。

 とはいえ、今回顔を出してしみじみ思うのは、やはりライトノベル作家としては間違いなく最高齢かもしれない。ということである。

 二次会で隣に座った「水野良」氏から
「ここで鷹見さんに倒れられたら、最年長の看板は私が背負うことになります。身体だけはくれぐれも気をつけて下さい」と言われてしまった。

 若くはないが、無理をせず本を書いて行こうと思う。【苦笑

 本日の広告は、「水野良」氏の「ブレイドライン・アーシア剣聖記」です。
 ファンタジアの世界観に、剣豪小説のテイストを持ち込んだ、まさしく「アジアンソードオペラ」
 ライトノベル読者が、地続きで入って行ける時代小説です。

 



ブレイドライン5  アーシア剣聖記 (角川スニーカー文庫)

ブレイドライン5 アーシア剣聖記 (角川スニーカー文庫)

  • 作者: 水野 良
  • 出版社/メーカー: 角川書店(角川グループパブリッシング)
  • 発売日: 2011/08/31
  • メディア: 文庫



54回目の誕生日は雪の中

 越後湯沢に篭って二日目。
 本日は私の誕生日である。
 昭和33年1月25日。滋賀県大津市は昨晩からの雪が降り続き、大雪となった。
 この日に生まれた私に、母は一月の雪の日に生まれた子という意味で「一雪」その雪を幸と読み換えて「一幸」という名前をつけようと考えたそうだ。
 結局本名は違う名前になったが、その「もうひとつの名前」は私のPNになった。

「鷹見一幸」というもう一人の私につける名前として「もしかしたら、そうだったかもしれない名前」がふさわしいと思ったからである。

 ものには名前がある。人にも名前がある。その名前には「理由」がある。
 自分につけられた名前の意味を、親から聞いたことがあると思う。
 誕生日と言うのは、自分の名前に込められた意味を思い出す日なのかもしれない。

 さて、54歳となったわけだが、なったからといって日々の生活が変わるわけでもない。
 私の職業は作家である。作家としての仕事を続けるだけのことである。

 実を言うと、この「作家」という肩書きと言うか職業は、何の保証にもなっていない。誰も証明する人がいない、資格でもなんでもない、いわば「自称」であり、だれでも「私は作家でございます」と言えば「作家」になってしまうのである。
 
 たとえば、私が本を書くのを止めてしまえば、その時点で私は作家ではない「作家だった人」になるわけで、そういう意味で、作家と言うのは本を書きつづけている、その「状態」を表す言葉なのかもしれない。

 ライトノベル作家は、若くなくては無理。
 ライトノベル作家は、35歳が限度。
 ライトノベル作家は、アニメ化されなければ食っていけない。
 ライトノベル作家は、5年続けられない。
 ライトノベル作家は、世間知らずばかり。

 みたいなことを、まことしやかに並べ立てる人がいるらしいが。そういうことを言う人の前に黙って立ってやろうかと思うときがある。【笑

 そういうことを、誰が決めたのだろう? それはそういうことを言っている人が勝手に思い込んで「こうだ!」と言っているにすぎない。
 
 そういう人は、人間を馬鹿にしている。人間の可能性を貶めて、踏みつけ、嘲笑しているにすぎない。
 人間を馬鹿にしてはいけない。人間の思いを哂ってはならない。
 
 前のウェブページの日記にも再三書いたが、私がここで書いていることは、すべて「私がそう思う」ということであり、「お前もそう思え」とか「こうでなければおかしい」と言っているわけではない。
 私と違う考えを持つ人もいるだろうし、そういう人が「俺はそうは思わない」と主張するのも自由である。
 
 自分の「好き、嫌い」と「善、悪」を一緒にして語る人が多いのは仕方がないが、好き嫌いを善悪に当てはめると、自分の好きなものが善であり、支持されて当然であり、自分が嫌いなものは悪であり、叩かれて当然。と思い込むようになる。

 この二元論は、実に居心地がいい。
「自分は善であり、自分と価値観の違うものは悪であり、悪は滅ぼしてもいい」
 という徹底した自己肯定であり、これにハマると、人間は、なかなかそこから出て来れなくなる。
 
 自戒を込めて。

 本日の広告は電撃文庫の「小さな国の救世主」
 のほほんと暮らしてきたおかげで、人間の可能性を信じることができる日本人の少年が、内乱の尽きぬ小さな国で、ひとつの部族を救ったことから始まる、国家再生のお話です。
 物語のモチーフには、大陸を旅行中の日本人の少年が、馬賊の一味に拉致され、そこで義賊のような馬賊と知り合い、ロシアの手先となっている悪い馬賊を懲らしめる、という戦前の「馬賊小説」があります。
 法治が行き届き、管理された日本ではできない冒険ができる「満蒙の地」は、戦前の冒険小説では格好の場所だったのだと思います。
 「馬賊小説」が大好きだった私は「これを現代の世界情勢に当てはめたらどうなるだろう?」と考えました。そして書いたのが、この「小さな国の救世主」です。
 

小さな国の救世主―なりゆき軍師の巻 (電撃文庫)

小さな国の救世主―なりゆき軍師の巻 (電撃文庫)

  • 作者: 鷹見 一幸
  • 出版社/メーカー: メディアワークス
  • 発売日: 2006/01
  • メディア: 文庫



国境の長いトンネルの中は駅弁タイム

 電撃文庫の「山猫姫・9」の著者校閲を終えて、宅急便でメディアワークスの編集部にゲラを返送し、その足で深谷駅に向った。

 本日から今月一杯31日まで、越後湯沢の仕事場でカンヅメ開始である。
 いつもなら、本庄早稲田駅から新幹線で一本だが、今日は在来線で行くことにした。理由は……単に旅行気分が味わいたかったからである【笑

 私は公私共に認める鉄道マニアであるが、鉄道マニア、通称(鉄ちゃん)にも、様々な種類がある。
 駅のホームの端っこで三脚据えてカメラを構えている「撮り鉄」
 鉄道模型が専門の「模鉄」
 鉄道車両の形式や、種別にこだわる「形式鉄」
 廃止される特急や車両を追いかける「葬式鉄」
 廃線になってしまった鉄道の遺跡をめぐり歩く「遺跡鉄」
 廃車の部品を集める「部品鉄」
 中には、保存車両の部品を剥がして盗む「盗り鉄」などという犯罪者までいる。

 私はどれかというと、まんべんなく成分を振り分けた普遍的鉄道マニアである。
 写真も撮るし模型も集めているし、形式を調べるのも好きだし、廃止と聞けば乗りたくなるし、廃線跡をたどるのも好きだし、部品も好きである。
 だが、一番成分が多いのは。鉄道を乗って楽しむ「乗り鉄」だと思う。

 深谷駅を17時32分発の高崎行きに乗り、高崎駅に着いたのは18時01分。
 高崎駅は上越新幹線、長野新幹線、上越線、高崎線、両毛線、吾妻線、信越線、八高線。という、8本のJR路線、これに上信電鉄を加えると9本に及ぶ鉄道が伸びるターミナル駅である。
 平日の午後6時。夕刻のラッシュアワーで、各ホームには次々に電車が発着を繰り返していた。
 私が乗るのは、18時36分発の上越線水上行きである。
 6番線で待っていると、かつての高崎線や東北線の主役。オレンジとダークグリーンの「湘南色」と呼ばれる塗装の115系1000番台が4両編成でやってきた。
115kei.jpg

 余談であるが、この色調から、この塗色の電車を「かぼちゃ電車」と呼ぶ人が結構いる。
 外側が緑で、中がオレンジという配色が、かぼちゃを割ったときのイメージに似ているからだろう。
 この塗色のことを「かぼちゃ電車」と最初に呼んだのは誰なのかよくわからないが、80年代の終わり頃に『私、銀色の電車、銀に青』『いいなあ、私、かぼちゃ電車だよ』という大宮駅での女子高生の会話を聞いた。という投稿を「ぴあ」の柱マラソンで呼んだ覚えがあるので、その頃から自然発生的にそう呼ばれていたのかもしれない。
 
 乗車時には、座席はほぼ満席、立っている人はいなかったが、新前橋で高校生がどっと乗り込んだ。
 私が座ったボックス席も乗客で埋まり、図体のでかい私は身を縮める……とはいっても物理的に限界があるので、心理的に。

 渋川駅で吾妻線が分岐するあたりで、客がぞろぞろと降り、さらに沼田駅でほとんどの人が降車した。
 水上駅についたときは、私の車両には五人しか乗っておらず、その五人はそのまま水上駅で待機していた長岡行きに乗り換えた。

 水上から先の上越線各駅停車は3両編成の115系1000番台。
 新潟、長野方面で使われているクリームにグリーンの帯の入った塗色の車体である。
 このタイプは、寒冷地用の改造が行われており、両開きのドアの部分が凍りつかないように、電熱線が埋め込まれていたり、モーターを冷却する空気を取り入れる部分に雪が入らないようになっている。
 
 水上駅での待ち合わせ時間はわずかに数分。乗って、荷物を網棚に載せた、と思ったら即、発車である。
 電車は雪の中を走って行く。
 水上の駅を出て、少し走った、と思ったら、すぐに新清水トンネルに入る。
 上越線の下り線の湯檜曽駅と、次の土合駅は、このトンネルの中にある。

 最初に谷川岳の下を抜ける清水トンネルができたのは、1931年、
 それまで、新潟と東京を結ぶ鉄道路線は、福島の会津を経由する磐越西線と、長野を抜けて直江津に抜ける信越線しか無かったのだ。
 この清水トンネルの開通によって、東京新潟間は実に4時間短縮された。
 川端康成の「雪国」の有名な冒頭の一節「国境の長いトンネルを抜けると」というのは、この清水トンネルのことだと言われている。

 だが、実は、私が今回通過したトンネルは、その清水トンネルではない。戦後、1967年に開通した新清水トンネルである。
 
 最初に開通した清水トンネルは、単線のトンネルであったため、複線化するために新たに掘ったのが、この新清水トンネルである。
 清水トンネルを通っているのは新潟から東京に向う上り線。東京から新潟に向うときは新清水トンネルを使っているわけである。
 つまり、川端康成氏の書くところの「国境の長いトンネルを抜けるとそこは……」という。古いほうの清水トンネルを抜けて新潟に入ることは、現在では、もはやできないわけである。

 トンネルに入ると見るものも無い。清水トンネルならば、かつての茂倉信号場の跡を見ることができるが、新清水トンネルでは、ちょっと広くなっている箇所があるだけである。
 というわけで、ここで、高崎駅で買ってきた駅弁を広げることにする。

 高崎駅は「たかべん」と呼ばれる駅弁屋さんが入っており、有名な「だるま弁当」を売っている。他にも「朝がゆ弁当」とか、変り種の弁当を作っており、横川の「峠のかまめし」と並んで、全国的にも有名であるが、実を言うと私は、高崎で買う駅弁は、だるま弁当よりも「とりめし」の方が好きなのだ。

 昔ながらの包装で、これといって洒落た雰囲気は全く無いが、この実にオーソドックスな、レトロな感覚が「駅弁」という感じで、なんとも言えない味がある。
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 ふたを開けると、中身はこうなっている。
 鳥の炊き込みご飯の上に鳥そぼろを敷き詰め、半分に海苔を敷き、その上にきじ焼きと、もも肉の付け焼き、付け合せは、つくね団子にこんにゃく、カリカリ梅に香の物。
torimesi02.jpg

 味付けは濃い。だが、嫌な濃さではない。日持ちさせるために必要な味の濃さを見切って、その中で最大限の美味さを引き出そうという、「駅弁という調理技術」の行き着いたところにあるような味である。
 お世辞にも今風ではない。だが、安心できる味である。美味い! と膝を叩くことはないだろう。だが、食べれば、小さく「うん」とうなずく。そんな実直な味の駅弁である。

 越後湯沢に着いたのは、20時30分。
 
 駅の中にあるみやげ物の出店は閉店し、がらんとした駅の構内は、どこか寒々しい。
 粉雪の舞うロータリーに出て、タクシーに乗り込む。

 3時間の小旅行は終わり。今、私の前には執筆中の原稿がある。
 これから原稿を書くだけの日々が始まるわけである。【苦笑

駅弁読本

駅弁読本

  • 作者: 上杉 剛嗣
  • 出版社/メーカー: エイ出版社
  • 発売日: 2011/08/10
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



アーチェリーの速射動画、矢継ぎ早とはこういうこと

知り合いから「面白い動画があるから見てごらん」と言われて確認したら、下のリンク先の動画だった。

http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=f8Jz-7eeCv4#!
 
 女性がアーチェリーで、次から次に矢を発射する動画であるが「背負っている矢に手を伸ばす」「矢を取り出す」「つがえて弓を引く」「矢を放つ」までがすべて一連の動作の中に納まっている。
休む暇も無く続けることを「矢継ぎ早に」という形容詞で表すことがあるが、これがその「矢継ぎ早」という言葉の語源である。

 動画を見ていただくとわかるが、的までの距離はそれほど遠くないし、的となっている毛布も大きい。
 だが、毛布のサイズは人間の身体の大きさと、さほど変わりは無いし、距離も、いわゆる砦レベルの防壁を考えれば、妥当な距離である。

 戦闘シーンを思い浮かべるとき、普通の人はどれくらいの距離を思い浮かべるだろう?
 百メートル以上の距離を隔てて撃ち合う、という感覚は、銃器が発達した近代になってからの常識である。
 銃器が発達する以前の、刀や槍、弓、というレベルの戦闘は、はるかに距離が短い。短いどころか直接のぶつかり合いである。

 そういった時代、たとえ十メートルほどの距離であっても、離れたところから攻撃される恐怖と言うのはかなりのものだろう。
 ましてや矢は、たった一本で一人の兵士の戦闘能力を失わせることができる。
 多勢に無勢で囲まれた城砦の防衛戦では、実に効果的だったのは、間違いない。

 私が書いている「ご主人様は山猫姫」の主人公「泉野晴凛」は弓の名手と言う設定であるが、弓を教わって数ヶ月で名人になると言う描写を「ご都合主義」と叩かれた。
「そんな馬鹿なことがあるわけない」というわけである。
なぜ「そんなことがあるわけない」と思うのか、というと、その根拠は「主観」である。「私がそう思うから」というのが理由である。
 
 だが、本当にそんなことはありえないのだろうか? 

 私はそうは思わない。私はそういう人を知っている。私が知っているのは「弓」ではなく「ピストル」だが、警察学校に入校して、ピストルを23メートル離れた標的に向けて10発撃って、いきなり80点を記録した人間……つまり私である【笑

 警察官になるまで、ピストルなんてものは持ったことも無ければもちろん撃ったことも無い。だが、なぜか命中させることができたのである。
 結局卒業時の検定でけん銃上級を取得し、講習を受けて助教の資格を得た。

 弓とピストルは違うかもしれないが、共通点がいくつもある。その最大の共通点は、どちらも、人間を相手に訓練をするのではない。という点である。

 狙うのは的であり、相手は自分である。自分の力で精神力と集中力をいかに高めるのか、というのが、射撃の訓練なのだ。

 格闘技はそうは行かない、相手にするのは人間であり、防御と同時に攻撃を行わねばならない。何よりも必要なのは敵の攻撃をかわす「速さ」と敵に攻撃をかわされない「速さ」であり、瞬発力を取得しなくてはならないから、当然トレーニングはハードになる。
「そんなことができるわけがない」と思う理由の多くは「【俺には】そんなことができるわけがない」という思い込みである。

 ホントかどうか、ぜひ一度やってみることをオススメする。
 
 百聞は一見にしかず、百見は一行にしかず。

 百回聞いても一回見て知ることには、かなわない。
 そして百回見ても、一回やってみることには、かなわないのである。

 本日の広告は「オイゲン・ヘリゲル」の「日本の弓術」である。
 オイゲン・ヘリゲルはドイツ人であり、日本に来て弓道に興味を持ち、そして修行によって会得した人物である。
 ドイツで近代射撃の技術と理論を学んだ彼は、その理論と技術とは全く違うアプローチの仕方に迷い、困惑しつつ、それでもなお、弓の魅力に惹き付けられた。
 論理と検証を重ねた西洋合理主義の視点から日本の弓を解説した、実に面白い本である。



日本の弓術 (岩波文庫)

日本の弓術 (岩波文庫)

  • 作者: オイゲン ヘリゲル
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1982/10/16
  • メディア: 文庫



今度の「山猫姫・9」は少し厚くなりそうです。

 ブログを開設して三日目である。
 写真の貼り付け方法とか、リンクの貼り方とか、ヘルプファイルと首っ引きで、右往左往しながらブログと正面からぶつかってきたが、わが方は甚大な損害を出しつつも、未だ最前線の塹壕に配置された「やる気連隊」の将兵は戦意を喪失することなく戦線を維持している。
 このまま好奇心の補給が続けば、なんとかなるだろう。

 さて、今まで、作家業とは全く関係のない話題を三つ続けてきた。
「鷹見のヤツ、どんなブログを書いているかと思ったら、アフリエィト狙いのクズブログなんか作りやがって、終わコンだとは思ってたけど、こいつは間違いなくゴミだな」
 と思った方が、そろそろ見放してくれたと思うので、この辺で、本業である作家業に関する日記を書くとしよう。【笑
 gera.jpg
 今日の写真は。この3月に電撃文庫から出版予定の「ご主人様は山猫姫・9」の著者稿。いわゆる「ゲラ」と呼ばれる原稿の束である。
 左に立っているのはサイズ対比用のSDカードである。

 余談であるが、昔からこういった品物の写真を掲載するときに、サイズの対比に使われるのは決まって「タバコの箱」であった。サイズが規格品で決まっていて、誰もが知っている身近な品物、というわけで、タバコが選ばれたのだろう。
 しかし、昨今急速にタバコ離れが広がり、タバコは以前ほどポピュラーな品物ではなくなりつつある。
 となれば、タバコに取って代わる「サイズ対比用物品」が必要になる。
 誰もが知っていて、身近で、統一規格サイズの物、となれば何になるだろうか? 私が今回使ったSDカードあたりが最適ではないかと、ひそかに思っている。

 さて、ゲラに話をもどすと、「山猫姫9」は、今までの巻より50Pほど多い。
 本来なら昨年末に出るはずだったのだが、昨年の九月頭に母と兄が同時に入院して、新潟と埼玉を往復しなければならなくなったため原稿執筆に振り向けるリソースが、がくんと減ってしまったため、どうにもならなくなって、発行を先延ばししてもらった。
 先延ばしした分、書いた原稿が増えてしまったわけである。

 電撃文庫から出ている「ご主人様は山猫姫」というライトノベル。

 この情報から多くの人が思い浮かべるのは、おてんばなお姫様に翻弄される主人公を描いたラブコメであろう。
 中国風の架空の国家を舞台にした、遊牧民との篭城戦と、一つの帝国の滅亡と再生の物語だと思う人は、おそらくいないと思う。
 だが、ラブコメを期待して読んでも、その期待を裏切らないだけのラブコメ成分はしっかり入れてあるつもりである。
 
 私はラブコメも好きだし、架空戦記も好きだし、戦略や兵站を語るのも好きだし、歴史小説も水滸伝も三国志も好きである。

 「ご主人様は山猫姫」は、そういった私が面白いと思うものをすべて放り込んで、すべてを描こうと思って書いている。
 戦闘シーンが「主」でラブコメが「従」でもないし、その逆でもない。私が好きな要素、面白いと思った要素を全部、平等にきっちり描いて、読者を楽しませようと思っている。

 このまま何事もなければ、今年の3月10日に、書店に並ぶはずである。
 後しばらくお待ちいただきたい。



 


ご主人様は山猫姫―辺境見習い英雄編 (電撃文庫)

ご主人様は山猫姫―辺境見習い英雄編 (電撃文庫)

  • 作者: 鷹見 一幸
  • 出版社/メーカー: アスキーメディアワークス
  • 発売日: 2009/04/10
  • メディア: 文庫





ご主人様は山猫姫〈2〉辺境駆け出し英雄編 (電撃文庫)

ご主人様は山猫姫〈2〉辺境駆け出し英雄編 (電撃文庫)

  • 作者: 鷹見 一幸
  • 出版社/メーカー: アスキーメディアワークス
  • 発売日: 2009/07/10
  • メディア: 文庫



ご主人様は山猫姫 3 辺境新米英雄編 (電撃文庫 た 12-23)

ご主人様は山猫姫 3 辺境新米英雄編 (電撃文庫 た 12-23)

  • 作者: 鷹見 一幸
  • 出版社/メーカー: アスキー・メディアワークス
  • 発売日: 2009/11/10
  • メディア: 文庫



アルコール忌避者はエナジードリンクの夢を見るか。

 私の家の周りで手に入るエナジードリンク四種類を並べてみた。

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 ひと昔前、日本がバブルの頃。巷では「24時間戦えますか」というキャッチフレーズと共に、ビタミンを主体としたドリンク剤が大々的に宣伝されていた。
 私の記憶にある、一番古いビタミン剤のCMは、三船敏郎が「飲んでますか?」とテレビの画面の向こうから聞いてくるアリナミンのCMである。
 栄養ドリンク系のCMとしては、王選手がリポビタンDのビンを持って「ファイトで行こう!」と言うCMを覚えているが、これが今の「ファイトォー! いっぱぁああつ!」というリポビタンDのCMの原型かもしれない。
 
 日本では、こういったビタミン系のドリンク剤は、長い間薬局で売られてきた。
 医薬品として薬局で売ったほうが、効果がありそうな気分になるし、あの茶色い小さなビンも、なんとなく薬っぽくて、飲めば元気になりそうな気分になるからだ。

 唯一、大塚製薬が売っている「オロナミンC」だけは、最初から清涼飲料水として扱われてきたが、これは炭酸が入っているため、医薬品として扱われなかったためである。

 この清涼飲料水扱いを逆手に取って、日本にやってきたのが、いわゆる「エナジードリンク」である。

 まず、モータースポーツのスポンサーとして有名な「レッドブル」
 一時期、東京の繁華街で、キャンペーンガールのお姉さんたちが、無料で配っていたが、今ではコンビにはもとより、駅の自動販売機の中にも入っており、すっかり定着してしまった。
 そして後を追うように「ロックスター」がやってきて、一度撤退したが再度ファミリーマートなどで売られるようになった。
 そして、同じく二輪モータースポーツのスポンサーをやっている「ビースト・アイ」
 コストコなどの輸入食料品店で売られている「シャークドリンク」

 これらのエナジードリンクは、いずれもブドウ糖とクエン酸を主体としてカフェインを多く含む飲料で、飲むと胃の中が熱くなる、目が冴える、という効果がある。

 ビン入りのビタミンドリンクと成分的にほとんど変わらないが、あの茶色い小ビンの持つ「オヤジドリンク」のイメージが全く無いことから、若者を中心にかなりの量が飲まれている。

 面白いのが、このエナジードリンクを、アルコール飲料の代わりに飲む人々がかなりいる、ということである。
 
 日本人の中には、先天的にアルコール分解酵素を持たないために、酒が全くダメという人間がかなり存在する。
 私の妻もその一人で、アルコールは全く受け付けない。粕漬けすらダメなので、奈良漬も酒粕を入れた三平汁も食べられないほどである。
 
 こういった人々にとって、気分を高揚させるエナジードリンクは、非アルコール飲料でありながら、アルコールを摂取したのと同じような作用を起こさせるのに持って来いの飲料なのかもしれない。

 缶からグラスに注くと、鮮やかな黄色だったり、緑色だったりして(ビースト・アイは緑色をしている)カクテル風で、場の雰囲気も壊さないし、持って来いなのかもしれない。
 
 もしこれが、栄養ドリンクだとしたら、グラスを満たすのに何本ものドリンクを注ぐことになる。
 その光景は、実に生々しいし、なんだか身体に悪そうなイメージがある。

 缶入りのエナジードリンクは、若者を中心に定着化しつつある。
 確かに、シェアは、旧来のビン入りドリンクの方がはるかに多くを占めている。取って代わられることはない。というのが、専門家の見方である。
 私もそう思う。というよりエナジードリンクと、ビン入りのドリンクとは別物なのである。
 エナジードリンクは、エナジードリンクというひとつのカテゴリーを新たに作り出したのだと思う。

 酒のようにリラックスはしないが、高揚感があり、眠くならない。
 ビン入りドリンクは、あまりにも「ビジネス」っぽくそのイメージにはどことなく「悲壮感」すら漂っている。

 そういったイメージとは無縁のエナジードリンクが受け入れられていることに、なんとなく新しい風が吹き始めているような気がしないでもない。

 
シャーク エナジードリンク 250ml×24本

シャーク エナジードリンク 250ml×24本

  • 出版社/メーカー: Osotspa Co.,Ltd
  • メディア: その他



アマゾンで買えるのは、本やDVDだけではないことを知りました。

昨日の日記の最後の部分にアマゾンの「いなり寿司」のアフリエィト広告が貼られているが、これは、最初、冗談のつもりでやってみたものである。
 ブログのヘルプを参照しながら、見よう見まねでレイアウトを組んでいたら、その中に「アマゾンの広告を貼る」というのがあった。
 そこで、半分冗談で検索欄に「いなり寿司」と書き込んで検索したところ、アマゾンで扱っている「冷凍いなり寿司」がヒットした。
 リンクボタンを押したところ、あのように表示されたわけだが、実を言うと、このときまで、私はアマゾンが生鮮食品を扱っていることを知らなかった。
 アマゾンが扱っているのは、本やDVD。衣類、家電製品、食品としても、せいぜい飲料やカンヅメのような保存の効く品物だけだと、何の根拠も無く思い込んでいたわけである。

 考えてみれば、今やクール宅急便で、日本全国冷凍品が届くわけで、アマゾンが扱わない理由は無いのである。
 というわけで、自分で貼ったアフリエィトバナーを自分で押してみた。

 あと何日かしたら、いなり寿司が私の家に届くだろう。
 そうしたら、再びご報告するつもりである。

 本日の広告は、私の最新刊「地球の切り札3」である。
 SF、映画、ゲーム、様々なパロディネタを放り込んだ、おっさんホイホイな本に仕上がった。
 「この元ネタはなんだろう?」と、頭をひねって楽しんで戴ければ幸いである


 


地球の切り札  (3)地球の未来は任されました。 (角川スニーカー文庫)

地球の切り札 (3)地球の未来は任されました。 (角川スニーカー文庫)

  • 作者: 鷹見 一幸
  • 出版社/メーカー: 角川書店(角川グループパブリッシング)
  • 発売日: 2011/12/28
  • メディア: 文庫



群馬県太田市の冠稲荷神社

IMG_2609.jpg alt="IMG_2614.jpg" /> 先日、群馬県の太田市にある冠稲荷神社に初詣に行ってきた。
『冠稲荷神社は、平安時代の天治二年(1125)、新田氏の始祖 新田義重公の父、源義国公創建と伝えられ、伏見、豊川、信田、王子、妻恋、田沼と合わせ、日本七社のひとつといわれています。
 承安四年(1174)源義経公は奥州下向の折、当社が源氏ゆかりの社であることを知り、冠の中に勧請(かんじょう)してきた京都伏見稲荷大社の御分霊を鎮祭しました(冠稲荷神社パンフレットより転載)』
 という歴史のある神社で、地元の人からは「縁結び・子宝」にごり約があると言われて信仰されており、境内に隣接して結婚式場もある。
 狛犬ならぬ「狛狐」もしっかりと冠をかぶっていた。
 稲荷には、大きく分けて「神道系」と「仏教系」があり。
 京都にある伏見稲荷は、神道系で、愛知県の豊川稲荷は仏教系、それも「豊川閣妙嚴寺」というれっきとした寺院である。
 なぜ、神道と仏教が入り混じったのかと言うと、仏教の「茶枳尼天」が白狐の背中に乗っていることから、狐を使いとする稲荷神社と結びつき、ひっくるめて「神様仏様」という扱いで、神仏習合してしまったわけである。

 明治に入って、国策として国家神道を推進するために神社と寺院は分離させられたが、それでも人々の中に深く入り込んだ稲荷信仰は、そんな思惑とは無縁に続いているわけである。

 さて、稲荷神社と言えば「いなり寿司」である。
 鷹見一幸の書く小説には、必ず食事と食べ物ネタが入る。と言われているが、ブログでも入れてみようと思う。
 
 京都の伏見稲荷の門前にはいなり寿司の専門店がいつくかあるが、実を言うと、東京の下町。根津や谷中とあたりにも、いなり寿司の専門店がいくつかある。
 小さな店構えで朝早くから、いなり寿司とかんぴょう巻きを売っており、店先で食べることもできるが、客の多くは持ち帰りである。
 
 いなり寿司は、日持ちがする。濃い味付けで煮込まれた油揚げは、傷みにくい。つまり、弁当にはもってこいなのだ。
 まだコンビニなどが無かった時代。独り者の職人が持っていく弁当に、このいなり寿司は最適だったわけである。
 
 いなり寿司なんか、油揚げを煮て、酢めし詰め込んだだけの簡単なもので、どこで食べても同じだろう。と思うかもしれない。
 ところがどっこい、こういう簡単で単純なものほど、作り手の腕が出るのである。

 太田市にも、実を言うといなり寿司の専門店があるのだが、この店と、そのいなり寿司については、また日を改めて詳しく話をしてみたいと思う。

ごはんの里 五目いなり寿司 約40g×12個入

ごはんの里 五目いなり寿司 約40g×12個入

  • 出版社/メーカー: ごはんの里
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