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「合戦」を描くということ。

「宇宙軍士官学校・10」が発売されて5日ほど過ぎた。31日には電子書籍版も配信されるらしい。
ツィッターなどで感想を検索すると、そこそこ評判も良さそうなので少し安心した。

 そこそこ評判もよく、ドカン、とまでは行かないが、そこそこ売れているとはいえ、あいも変わらずメディアミックスとは無縁であり、中堅と言えば聞こえはいいが、いわゆる「知る人ぞ知る」レベルの作家業である。
 まあ、人間何よりも大切なのは「身の程を知る」ことであり、現状に不満を抱いても、それが自分の努力ではどうにもならないのなら、下手な望みは持たない方がいいのである。

 メディアミックス、特にアニメについては、業界に結構知り合いがいるので、色々話をすることもあるのだが、今のアニメの制作側からの視点で自分の作品を見れば、これほど「美味しくない」コンテンツは、珍しい。

 まず「ネームバリュー」が無い。作家もそうだが、作品に客を惹きつけるものがない。
 二次創作で盛り上がる気配もなければ、熱狂的に支持してDVDを買ってくれそうなファンもいない。どう見ても投下した資本を回収できそうにない。

 また、コンテンツの内容も、作画や演出に苦労しそうな大軍勢の合戦とか、大艦隊とか、動かすのに手間のかかるものばかり出てくる。
 メカならCGでなんとかなるとしても、山猫姫のような人間同士の合戦シーンを描くには、絵を描く側にそれなりの蓄積が必要だが、それなりの腕のある原画家や作画監督を使うには、マイナーすぎて、資本を投下するにはリスクが大きすぎる。
「合戦シーン」をどう描くか。というのは、アニメで言うところの「コンテを切る」部分である。
 
私が「合戦シーン」のコンテの完成形を見たのは、マンガ版「風の谷のナウシカ」の帝国軍の騎兵隊が立て籠もった城塞を土鬼(ドルク)の大部隊が攻城砲を並べて包囲している中を、クシャナ率いる騎兵隊が敵中突破して攻城砲を破壊するエピソードのコマ割である

 あの一冊は、なんというか、こう、鬼気迫るものがある。宮崎さんが本当にやりたかったことは、あの合戦シーンではなかったのか。と思わせる力の入れ方である。

 もし私が一夜にして大金持ちになったら、その金をつぎ込んで、あのエピソードだけをアニメにしたいと、本心から思う。
 
「合戦シーン」というのは、長い間、実写映画の世界で描かれてきた。特に、国家予算をつぎ込んで作られたソビエト映画の合戦シーンは、人的資源を無尽蔵につぎ込んで作られており、「戦争と平和」のナポレオン戦争に至ってはエキストラだけで数万人という規模である。

 実を言うと、ナウシカの土鬼との合戦シーンは、ソビエト映画の「イワン雷帝」のイメージが強く出ているように思える。おそらく、ナウシカを描いた時の宮崎氏の脳内に、あったイメージの根源の一つであろうと推察する。

 CGが発達し、無数の人間の集団を自由に動かせる時代となった今こそ、単なる「モブ」ではない、意志を持った軍勢として描き出した物語が見たいと思う。

 私の脳内にしか存在しない「合戦シーン」
 その迫力、その面白さを他人に伝える手段を、私は持っていない。映像を作る技術も人を雇う資本もない。
 私にできることは、それを文章で描き出し、「小説」として渡すことだけなのだ。

 小説というメデイアは、映像などのメディアに比べれば地味で、多くの人々に受け入れられるものではない。しかし、映像では描ききれない、もしくは描くには膨大な資本を必要とする題材。たとえばひとつの国家の興隆と滅亡、ひいては地球の滅亡まで、ほとんど資本の投下なしに描けるメディアである。

 そう考えると、メディアミックスの余地が無い私のコンテンツは、小説に特化しているだけなのかもしれない。

 

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