ツィッターで拾った話。
東北には、なんというか「人の情念」を感じさせるものがある。
合理と理性では割り切れない、人間という生き物の持つ感情である。
先日、ツィッターで、こんな話が流れてきた。
福袋 @hukubukuro
仙台の姉が、タクシーの運転手さんから聞いた話。「震災から3回も幽霊を乗せた。お客さんを乗せてドア閉め、○○までと言われ、ああ他所から来た人だったかと思って。そこはもう何もありませんよ、って振り向くと、いない」「そういう時は言われた辺りまで行くんです。帰りたいだろうから…」合掌
この話を読んで心揺さぶられるのは、怪談話の部分ではない。
後段の、運転手さんの語りである。
「そういう時は言われた辺りまで行くんです。帰りたいだろうから」
この一言の持つ暖かさは、なんとも表現しようが無い。
人間の良さ、人間を信じたくなる暖かさ。
この話を「迷信だ」「非科学的だ」「不合理だ」と、切って捨てるのは簡単だ。
そして、それが正しいのだろう。
だが、日本人と言うのは、こういう考え方とこういう価値観で生きてきたのだ。
津軽地方に「雁風呂」という言い伝えがある。
秋になると、遠く北の国から雁が渡ってくる。
雁は口に一本の枝を咥えている。
海の上で休む時、雁はその枝を海に浮かべそれに停まって休むのだという。
日本の海岸に着くと、雁はその枝を浜辺に落として日本の野山に飛んでいく。
やがて、季節が変わり、春が近づくと、雁は北の国に戻っていく。
そのとき、この浜辺に寄って、咥えてきた枝を再び咥えて北の空に飛んでいく
浜辺には、生きて還れなかった雁の数だけ枝が残る。
人々はその枝を拾い集めて風呂を沸かし、旅人に振る舞い、死んだ雁の供養をする。
日本人と言うのは、こういうメンタリティで生きてきたのである。
この話が真実なのか、どうなのか、そういうことではない。
世の中には「正しい」「正しくない」と言う価値観以外にも、いくつもの価値観がある。
グローバルスタンダードと言うのは、そういう日本人のメンタリティを否定し、捨て去ることでしか達成できないものなのだろうか?
私はそうは思わない。
度重なる生存競争と淘汰の先にたどり着く場所は、砂漠である。
ガラパゴスという名前の共存の概念の先にも、未来はあると思うのだ。
合理と理性では割り切れない、人間という生き物の持つ感情である。
先日、ツィッターで、こんな話が流れてきた。
福袋 @hukubukuro
仙台の姉が、タクシーの運転手さんから聞いた話。「震災から3回も幽霊を乗せた。お客さんを乗せてドア閉め、○○までと言われ、ああ他所から来た人だったかと思って。そこはもう何もありませんよ、って振り向くと、いない」「そういう時は言われた辺りまで行くんです。帰りたいだろうから…」合掌
この話を読んで心揺さぶられるのは、怪談話の部分ではない。
後段の、運転手さんの語りである。
「そういう時は言われた辺りまで行くんです。帰りたいだろうから」
この一言の持つ暖かさは、なんとも表現しようが無い。
人間の良さ、人間を信じたくなる暖かさ。
この話を「迷信だ」「非科学的だ」「不合理だ」と、切って捨てるのは簡単だ。
そして、それが正しいのだろう。
だが、日本人と言うのは、こういう考え方とこういう価値観で生きてきたのだ。
津軽地方に「雁風呂」という言い伝えがある。
秋になると、遠く北の国から雁が渡ってくる。
雁は口に一本の枝を咥えている。
海の上で休む時、雁はその枝を海に浮かべそれに停まって休むのだという。
日本の海岸に着くと、雁はその枝を浜辺に落として日本の野山に飛んでいく。
やがて、季節が変わり、春が近づくと、雁は北の国に戻っていく。
そのとき、この浜辺に寄って、咥えてきた枝を再び咥えて北の空に飛んでいく
浜辺には、生きて還れなかった雁の数だけ枝が残る。
人々はその枝を拾い集めて風呂を沸かし、旅人に振る舞い、死んだ雁の供養をする。
日本人と言うのは、こういうメンタリティで生きてきたのである。
この話が真実なのか、どうなのか、そういうことではない。
世の中には「正しい」「正しくない」と言う価値観以外にも、いくつもの価値観がある。
グローバルスタンダードと言うのは、そういう日本人のメンタリティを否定し、捨て去ることでしか達成できないものなのだろうか?
私はそうは思わない。
度重なる生存競争と淘汰の先にたどり着く場所は、砂漠である。
ガラパゴスという名前の共存の概念の先にも、未来はあると思うのだ。
2012-12-11 23:57