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早川書房の「宇宙軍士官学校―【前哨】スカウト― について。

 先日、ここで7月に早川書房から「宇宙軍士官学校―【前哨】スカウト―」という本が出ることをお伝えしたが。この本のカバーイラストを、漫画家の「太田垣康男」氏に描いて戴ける事が決まった。

 まだ、どんな物になるかわからないが、太田垣氏といえば「MOON LIGHT MILE」のような圧倒的な精緻な書き込みと、漢と書いて【おとこ】とルビを振るような人物描写を期待してしまう。

 私が書いた物語は、どちらかと言うとR・AハインラインのジュヴナイルSFを念頭に置いて書いたもので、漢の物語、と言い切るには少々幼く感じるかもしれないが、物語が佳境に入るに連れて、内容はかなりシビアなものになると思うので、期待はずれだとお感じになるかもしれないが、長い目で見ていただけると嬉しい。

 R・Aハインライン。と言う名前を出したが、私はハインラインを崇拝している。
 ハインライン自身は、そういう崇拝の対象にされることを嫌っていたそうだが、それは「異星の客」が世に出た時に、ヒッピーのバイブル的に扱われたことで、かなり迷惑を蒙ったためらしい。

 ハインラインの著作として有名な「宇宙の戦士」は、ジュヴナイルとして執筆されたと言うのは有名な話だが、欧米のジュヴナイルは、アーサーランサムの「ツバメ号とアマゾン号」などに代表されるように、少年向けと言っても、大人が読んで充分に楽しめる物語であり、私は子供の頃から、その類の物語を読んで育ってきたわけである。

 人間は、今までに見てきたものや、読んできたものを自分の中に取り込んで、そこから物語を紡ぎ出す。
 
 となれば、私の中にある物語の記憶は、アーサーランサムや、ハインライン、そして佐藤さとる氏の「コロボックル童話」から始まっている。

 私がライトノベルを書き始めたのは、40歳になってからである。
 つまり、私の記憶の中に、ライトノベルが占めている割合は、他のどのジャンルの物語よりも浅いと言うことになる。

 私は、ほとんどライトノベルを読むことなく、ライトノベルの小説大賞に応募し、最終選考で拾われて、ライトノベル作家となった人間である。

 売れている、売れ筋のライトノベルをたくさん読んで、売れ筋をつかまなくてはライトノベル作家になれない。などという説をまことしやかに唱えている方もいるようだが、私のような例外もいる、ということを申し上げておきたい。

 私は、ライトノベルと言うのは、十代の若者も読んで楽しめる、エンタティメント小説の総称だと思っている。
 
 十代の若者【が】読める。ではない。十代の若者【も】読める。である。

 二十代、三十代、四十代、五十代の人が読んでも楽しめて、十代の若者【も】楽しめる物語。
 ようは、面白ければなんでもあり、がライトノベルだと思っている。
 
 これは私がそう思っているというだけのことであって、そうでなくてはおかしいとか、そう思え、とか、これが正しくてそれ以外は全部間違っている。などというつもりは全くない。

 どう思うのも、どう論じるのもその人の自由である。
 その人が、そう思い、そう主張することが許されるように、私がこう思い、こう主張することも許されるはずである。

 自分の思っていることだけが正しくて、自分の論を主張することだけが許されるべきだ。とお考えの方は、きっと天皇家から錦の御旗を渡されたか、天使が降臨して、神軍の先兵としてラッパを吹いてくれたのに違いない。【笑

 そういう、やんごとなきお方は、私のような下々のラノベ作家のところに来ないで欲しいものである【笑

 さて、話が脱線したが「宇宙軍士官学校」は新シリーズであり、三部作を予定しているが、実を言うと一冊分として考えたプロットの三分の一を書いただけで、一冊になってしまったので、下手をすると、全5巻あたりになるかもしれない。

 そこまで書かせてもらえるかどうかは、売れ行きに掛かっているので、お約束はできないが、終わらせる時はちゃんと終わらせるつもりなので御安心願いたい。

 この「プロットの段階で決めた分量が、書いて見ると膨れ上がる」というのは、私の悪い癖で、山猫姫も、当初は3冊か5冊、と思っていたのだが、あっという間に10巻である。
 
 なぜ、プロットの段階から、倍に膨れ上がるのかというと、答えは簡単なことで、プロットの段階では、物語の筋書きしか考えていないからである。

 山猫姫で言えば「タッケイ族のスンタタがお忍びで延声にやってくる」 というプロットの一行が、実際に文章にすると、どれほどの事を書かねばならないかというと。

 ・延声の街の様子、街の表情。
 ・延声の警備の様子。不審者が入り込まないように衛兵が見張っている様子。
 ・警備の兵士が、帝国兵とシムールの戦士が合同で行っている様子。
 ・帝国の街に不慣れなスンタタたちの様子
 ・シムールの戦士が、スンタタに気がつく様子
 ・スンタタを案内する。ほっとするスンタタ。

 とまあ、これくらいの情報量に膨れ上がるわけである。
 ただ、スンタタが延声に来た。だけではないのだ。
 シムールの族長が、帝国の街に来たら、どうなるか、を脳内でちゃんとシミュレートしなくてはならない。

 街にはその街のシステムがあって、そのシステムで動いている。これは必然であるが、書かねば伝わらない
 スンタタはシムールであり、帝国のことに疎い。帝国の街に来て驚く、これは必然である。これもまた書かねば伝わらない。
 延声は北域国の首都として、晴凛の治世の下で、シムールと帝国兵が共存している。その共存の様子を説明しなくてはならない。
 その共存を目にして、スンタタが、感心し、晴凛の言っていることがおためごかしではないことを実感する。

 これだけの情報量を、その「スンタタが延声の街にやってきた」ことに載せなくてはならないわけである。
 異なる立場の人間を、別の場所に立たせるとしたら、そこに認識の差があるのは当然なのだ。これを省略してしまえば、話はサクサク進むが、その人物の背景は薄っぺらになる。

 物語の流れを追うだけで一冊分あるとしたら、その物語の上に、会話やドラマを乗せれば、それは一冊分におさまるはずも無いのである。

 ともあれ「宇宙軍士官学校」がスタートする。楽しんでいただければ幸いである。
 

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