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54回目の誕生日は雪の中

 越後湯沢に篭って二日目。
 本日は私の誕生日である。
 昭和33年1月25日。滋賀県大津市は昨晩からの雪が降り続き、大雪となった。
 この日に生まれた私に、母は一月の雪の日に生まれた子という意味で「一雪」その雪を幸と読み換えて「一幸」という名前をつけようと考えたそうだ。
 結局本名は違う名前になったが、その「もうひとつの名前」は私のPNになった。

「鷹見一幸」というもう一人の私につける名前として「もしかしたら、そうだったかもしれない名前」がふさわしいと思ったからである。

 ものには名前がある。人にも名前がある。その名前には「理由」がある。
 自分につけられた名前の意味を、親から聞いたことがあると思う。
 誕生日と言うのは、自分の名前に込められた意味を思い出す日なのかもしれない。

 さて、54歳となったわけだが、なったからといって日々の生活が変わるわけでもない。
 私の職業は作家である。作家としての仕事を続けるだけのことである。

 実を言うと、この「作家」という肩書きと言うか職業は、何の保証にもなっていない。誰も証明する人がいない、資格でもなんでもない、いわば「自称」であり、だれでも「私は作家でございます」と言えば「作家」になってしまうのである。
 
 たとえば、私が本を書くのを止めてしまえば、その時点で私は作家ではない「作家だった人」になるわけで、そういう意味で、作家と言うのは本を書きつづけている、その「状態」を表す言葉なのかもしれない。

 ライトノベル作家は、若くなくては無理。
 ライトノベル作家は、35歳が限度。
 ライトノベル作家は、アニメ化されなければ食っていけない。
 ライトノベル作家は、5年続けられない。
 ライトノベル作家は、世間知らずばかり。

 みたいなことを、まことしやかに並べ立てる人がいるらしいが。そういうことを言う人の前に黙って立ってやろうかと思うときがある。【笑

 そういうことを、誰が決めたのだろう? それはそういうことを言っている人が勝手に思い込んで「こうだ!」と言っているにすぎない。
 
 そういう人は、人間を馬鹿にしている。人間の可能性を貶めて、踏みつけ、嘲笑しているにすぎない。
 人間を馬鹿にしてはいけない。人間の思いを哂ってはならない。
 
 前のウェブページの日記にも再三書いたが、私がここで書いていることは、すべて「私がそう思う」ということであり、「お前もそう思え」とか「こうでなければおかしい」と言っているわけではない。
 私と違う考えを持つ人もいるだろうし、そういう人が「俺はそうは思わない」と主張するのも自由である。
 
 自分の「好き、嫌い」と「善、悪」を一緒にして語る人が多いのは仕方がないが、好き嫌いを善悪に当てはめると、自分の好きなものが善であり、支持されて当然であり、自分が嫌いなものは悪であり、叩かれて当然。と思い込むようになる。

 この二元論は、実に居心地がいい。
「自分は善であり、自分と価値観の違うものは悪であり、悪は滅ぼしてもいい」
 という徹底した自己肯定であり、これにハマると、人間は、なかなかそこから出て来れなくなる。
 
 自戒を込めて。

 本日の広告は電撃文庫の「小さな国の救世主」
 のほほんと暮らしてきたおかげで、人間の可能性を信じることができる日本人の少年が、内乱の尽きぬ小さな国で、ひとつの部族を救ったことから始まる、国家再生のお話です。
 物語のモチーフには、大陸を旅行中の日本人の少年が、馬賊の一味に拉致され、そこで義賊のような馬賊と知り合い、ロシアの手先となっている悪い馬賊を懲らしめる、という戦前の「馬賊小説」があります。
 法治が行き届き、管理された日本ではできない冒険ができる「満蒙の地」は、戦前の冒険小説では格好の場所だったのだと思います。
 「馬賊小説」が大好きだった私は「これを現代の世界情勢に当てはめたらどうなるだろう?」と考えました。そして書いたのが、この「小さな国の救世主」です。
 

小さな国の救世主―なりゆき軍師の巻 (電撃文庫)

小さな国の救世主―なりゆき軍師の巻 (電撃文庫)

  • 作者: 鷹見 一幸
  • 出版社/メーカー: メディアワークス
  • 発売日: 2006/01
  • メディア: 文庫



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