国境の長いトンネルの中は駅弁タイム
電撃文庫の「山猫姫・9」の著者校閲を終えて、宅急便でメディアワークスの編集部にゲラを返送し、その足で深谷駅に向った。
本日から今月一杯31日まで、越後湯沢の仕事場でカンヅメ開始である。
いつもなら、本庄早稲田駅から新幹線で一本だが、今日は在来線で行くことにした。理由は……単に旅行気分が味わいたかったからである【笑
私は公私共に認める鉄道マニアであるが、鉄道マニア、通称(鉄ちゃん)にも、様々な種類がある。
駅のホームの端っこで三脚据えてカメラを構えている「撮り鉄」
鉄道模型が専門の「模鉄」
鉄道車両の形式や、種別にこだわる「形式鉄」
廃止される特急や車両を追いかける「葬式鉄」
廃線になってしまった鉄道の遺跡をめぐり歩く「遺跡鉄」
廃車の部品を集める「部品鉄」
中には、保存車両の部品を剥がして盗む「盗り鉄」などという犯罪者までいる。
私はどれかというと、まんべんなく成分を振り分けた普遍的鉄道マニアである。
写真も撮るし模型も集めているし、形式を調べるのも好きだし、廃止と聞けば乗りたくなるし、廃線跡をたどるのも好きだし、部品も好きである。
だが、一番成分が多いのは。鉄道を乗って楽しむ「乗り鉄」だと思う。
深谷駅を17時32分発の高崎行きに乗り、高崎駅に着いたのは18時01分。
高崎駅は上越新幹線、長野新幹線、上越線、高崎線、両毛線、吾妻線、信越線、八高線。という、8本のJR路線、これに上信電鉄を加えると9本に及ぶ鉄道が伸びるターミナル駅である。
平日の午後6時。夕刻のラッシュアワーで、各ホームには次々に電車が発着を繰り返していた。
私が乗るのは、18時36分発の上越線水上行きである。
6番線で待っていると、かつての高崎線や東北線の主役。オレンジとダークグリーンの「湘南色」と呼ばれる塗装の115系1000番台が4両編成でやってきた。
余談であるが、この色調から、この塗色の電車を「かぼちゃ電車」と呼ぶ人が結構いる。
外側が緑で、中がオレンジという配色が、かぼちゃを割ったときのイメージに似ているからだろう。
この塗色のことを「かぼちゃ電車」と最初に呼んだのは誰なのかよくわからないが、80年代の終わり頃に『私、銀色の電車、銀に青』『いいなあ、私、かぼちゃ電車だよ』という大宮駅での女子高生の会話を聞いた。という投稿を「ぴあ」の柱マラソンで呼んだ覚えがあるので、その頃から自然発生的にそう呼ばれていたのかもしれない。
乗車時には、座席はほぼ満席、立っている人はいなかったが、新前橋で高校生がどっと乗り込んだ。
私が座ったボックス席も乗客で埋まり、図体のでかい私は身を縮める……とはいっても物理的に限界があるので、心理的に。
渋川駅で吾妻線が分岐するあたりで、客がぞろぞろと降り、さらに沼田駅でほとんどの人が降車した。
水上駅についたときは、私の車両には五人しか乗っておらず、その五人はそのまま水上駅で待機していた長岡行きに乗り換えた。
水上から先の上越線各駅停車は3両編成の115系1000番台。
新潟、長野方面で使われているクリームにグリーンの帯の入った塗色の車体である。
このタイプは、寒冷地用の改造が行われており、両開きのドアの部分が凍りつかないように、電熱線が埋め込まれていたり、モーターを冷却する空気を取り入れる部分に雪が入らないようになっている。
水上駅での待ち合わせ時間はわずかに数分。乗って、荷物を網棚に載せた、と思ったら即、発車である。
電車は雪の中を走って行く。
水上の駅を出て、少し走った、と思ったら、すぐに新清水トンネルに入る。
上越線の下り線の湯檜曽駅と、次の土合駅は、このトンネルの中にある。
最初に谷川岳の下を抜ける清水トンネルができたのは、1931年、
それまで、新潟と東京を結ぶ鉄道路線は、福島の会津を経由する磐越西線と、長野を抜けて直江津に抜ける信越線しか無かったのだ。
この清水トンネルの開通によって、東京新潟間は実に4時間短縮された。
川端康成の「雪国」の有名な冒頭の一節「国境の長いトンネルを抜けると」というのは、この清水トンネルのことだと言われている。
だが、実は、私が今回通過したトンネルは、その清水トンネルではない。戦後、1967年に開通した新清水トンネルである。
最初に開通した清水トンネルは、単線のトンネルであったため、複線化するために新たに掘ったのが、この新清水トンネルである。
清水トンネルを通っているのは新潟から東京に向う上り線。東京から新潟に向うときは新清水トンネルを使っているわけである。
つまり、川端康成氏の書くところの「国境の長いトンネルを抜けるとそこは……」という。古いほうの清水トンネルを抜けて新潟に入ることは、現在では、もはやできないわけである。
トンネルに入ると見るものも無い。清水トンネルならば、かつての茂倉信号場の跡を見ることができるが、新清水トンネルでは、ちょっと広くなっている箇所があるだけである。
というわけで、ここで、高崎駅で買ってきた駅弁を広げることにする。
高崎駅は「たかべん」と呼ばれる駅弁屋さんが入っており、有名な「だるま弁当」を売っている。他にも「朝がゆ弁当」とか、変り種の弁当を作っており、横川の「峠のかまめし」と並んで、全国的にも有名であるが、実を言うと私は、高崎で買う駅弁は、だるま弁当よりも「とりめし」の方が好きなのだ。
昔ながらの包装で、これといって洒落た雰囲気は全く無いが、この実にオーソドックスな、レトロな感覚が「駅弁」という感じで、なんとも言えない味がある。
ふたを開けると、中身はこうなっている。
鳥の炊き込みご飯の上に鳥そぼろを敷き詰め、半分に海苔を敷き、その上にきじ焼きと、もも肉の付け焼き、付け合せは、つくね団子にこんにゃく、カリカリ梅に香の物。
味付けは濃い。だが、嫌な濃さではない。日持ちさせるために必要な味の濃さを見切って、その中で最大限の美味さを引き出そうという、「駅弁という調理技術」の行き着いたところにあるような味である。
お世辞にも今風ではない。だが、安心できる味である。美味い! と膝を叩くことはないだろう。だが、食べれば、小さく「うん」とうなずく。そんな実直な味の駅弁である。
越後湯沢に着いたのは、20時30分。
駅の中にあるみやげ物の出店は閉店し、がらんとした駅の構内は、どこか寒々しい。
粉雪の舞うロータリーに出て、タクシーに乗り込む。
3時間の小旅行は終わり。今、私の前には執筆中の原稿がある。
これから原稿を書くだけの日々が始まるわけである。【苦笑
本日から今月一杯31日まで、越後湯沢の仕事場でカンヅメ開始である。
いつもなら、本庄早稲田駅から新幹線で一本だが、今日は在来線で行くことにした。理由は……単に旅行気分が味わいたかったからである【笑
私は公私共に認める鉄道マニアであるが、鉄道マニア、通称(鉄ちゃん)にも、様々な種類がある。
駅のホームの端っこで三脚据えてカメラを構えている「撮り鉄」
鉄道模型が専門の「模鉄」
鉄道車両の形式や、種別にこだわる「形式鉄」
廃止される特急や車両を追いかける「葬式鉄」
廃線になってしまった鉄道の遺跡をめぐり歩く「遺跡鉄」
廃車の部品を集める「部品鉄」
中には、保存車両の部品を剥がして盗む「盗り鉄」などという犯罪者までいる。
私はどれかというと、まんべんなく成分を振り分けた普遍的鉄道マニアである。
写真も撮るし模型も集めているし、形式を調べるのも好きだし、廃止と聞けば乗りたくなるし、廃線跡をたどるのも好きだし、部品も好きである。
だが、一番成分が多いのは。鉄道を乗って楽しむ「乗り鉄」だと思う。
深谷駅を17時32分発の高崎行きに乗り、高崎駅に着いたのは18時01分。
高崎駅は上越新幹線、長野新幹線、上越線、高崎線、両毛線、吾妻線、信越線、八高線。という、8本のJR路線、これに上信電鉄を加えると9本に及ぶ鉄道が伸びるターミナル駅である。
平日の午後6時。夕刻のラッシュアワーで、各ホームには次々に電車が発着を繰り返していた。
私が乗るのは、18時36分発の上越線水上行きである。
6番線で待っていると、かつての高崎線や東北線の主役。オレンジとダークグリーンの「湘南色」と呼ばれる塗装の115系1000番台が4両編成でやってきた。
余談であるが、この色調から、この塗色の電車を「かぼちゃ電車」と呼ぶ人が結構いる。
外側が緑で、中がオレンジという配色が、かぼちゃを割ったときのイメージに似ているからだろう。
この塗色のことを「かぼちゃ電車」と最初に呼んだのは誰なのかよくわからないが、80年代の終わり頃に『私、銀色の電車、銀に青』『いいなあ、私、かぼちゃ電車だよ』という大宮駅での女子高生の会話を聞いた。という投稿を「ぴあ」の柱マラソンで呼んだ覚えがあるので、その頃から自然発生的にそう呼ばれていたのかもしれない。
乗車時には、座席はほぼ満席、立っている人はいなかったが、新前橋で高校生がどっと乗り込んだ。
私が座ったボックス席も乗客で埋まり、図体のでかい私は身を縮める……とはいっても物理的に限界があるので、心理的に。
渋川駅で吾妻線が分岐するあたりで、客がぞろぞろと降り、さらに沼田駅でほとんどの人が降車した。
水上駅についたときは、私の車両には五人しか乗っておらず、その五人はそのまま水上駅で待機していた長岡行きに乗り換えた。
水上から先の上越線各駅停車は3両編成の115系1000番台。
新潟、長野方面で使われているクリームにグリーンの帯の入った塗色の車体である。
このタイプは、寒冷地用の改造が行われており、両開きのドアの部分が凍りつかないように、電熱線が埋め込まれていたり、モーターを冷却する空気を取り入れる部分に雪が入らないようになっている。
水上駅での待ち合わせ時間はわずかに数分。乗って、荷物を網棚に載せた、と思ったら即、発車である。
電車は雪の中を走って行く。
水上の駅を出て、少し走った、と思ったら、すぐに新清水トンネルに入る。
上越線の下り線の湯檜曽駅と、次の土合駅は、このトンネルの中にある。
最初に谷川岳の下を抜ける清水トンネルができたのは、1931年、
それまで、新潟と東京を結ぶ鉄道路線は、福島の会津を経由する磐越西線と、長野を抜けて直江津に抜ける信越線しか無かったのだ。
この清水トンネルの開通によって、東京新潟間は実に4時間短縮された。
川端康成の「雪国」の有名な冒頭の一節「国境の長いトンネルを抜けると」というのは、この清水トンネルのことだと言われている。
だが、実は、私が今回通過したトンネルは、その清水トンネルではない。戦後、1967年に開通した新清水トンネルである。
最初に開通した清水トンネルは、単線のトンネルであったため、複線化するために新たに掘ったのが、この新清水トンネルである。
清水トンネルを通っているのは新潟から東京に向う上り線。東京から新潟に向うときは新清水トンネルを使っているわけである。
つまり、川端康成氏の書くところの「国境の長いトンネルを抜けるとそこは……」という。古いほうの清水トンネルを抜けて新潟に入ることは、現在では、もはやできないわけである。
トンネルに入ると見るものも無い。清水トンネルならば、かつての茂倉信号場の跡を見ることができるが、新清水トンネルでは、ちょっと広くなっている箇所があるだけである。
というわけで、ここで、高崎駅で買ってきた駅弁を広げることにする。
高崎駅は「たかべん」と呼ばれる駅弁屋さんが入っており、有名な「だるま弁当」を売っている。他にも「朝がゆ弁当」とか、変り種の弁当を作っており、横川の「峠のかまめし」と並んで、全国的にも有名であるが、実を言うと私は、高崎で買う駅弁は、だるま弁当よりも「とりめし」の方が好きなのだ。
昔ながらの包装で、これといって洒落た雰囲気は全く無いが、この実にオーソドックスな、レトロな感覚が「駅弁」という感じで、なんとも言えない味がある。
ふたを開けると、中身はこうなっている。
鳥の炊き込みご飯の上に鳥そぼろを敷き詰め、半分に海苔を敷き、その上にきじ焼きと、もも肉の付け焼き、付け合せは、つくね団子にこんにゃく、カリカリ梅に香の物。
味付けは濃い。だが、嫌な濃さではない。日持ちさせるために必要な味の濃さを見切って、その中で最大限の美味さを引き出そうという、「駅弁という調理技術」の行き着いたところにあるような味である。
お世辞にも今風ではない。だが、安心できる味である。美味い! と膝を叩くことはないだろう。だが、食べれば、小さく「うん」とうなずく。そんな実直な味の駅弁である。
越後湯沢に着いたのは、20時30分。
駅の中にあるみやげ物の出店は閉店し、がらんとした駅の構内は、どこか寒々しい。
粉雪の舞うロータリーに出て、タクシーに乗り込む。
3時間の小旅行は終わり。今、私の前には執筆中の原稿がある。
これから原稿を書くだけの日々が始まるわけである。【苦笑
2012-01-24 00:01